今回 「キョウトウユウイチロウを東北に連れて行くツアー!」ということで東北に入ってました。
個人名をあげて、なんだかわからない感じですが、「京當侑一籠」という人は牧バレエ団でプリンシパルをしている人です。
実は彼はOSH発足直後からその男気でOSHを支えてくれていた人間の一人なのです。
彼の出身はOSH正木亮と同じで、弟弟子にあたります。(おとうと弟子ですね。読みにくい?)
その彼が今の東北の状況や、今まで間接的に関わっている人達に会いたいという思いから今回の東北支援ツアーが決まったのです。
OSHの支援自体は少し前からのんびりとしたものにシフトしつつあります。
○みんなの顔をみて、東京みやげとともに現状の話を聞く
○必要とあれば物資を集めて届けたり、お手伝いをする
○バレエを踊ったり、ワークショップをする
おおまかにはこんなカタチに落ち着きはじめています。
これを彼を含めて総勢5人で東北めぐりをしていました。
現地の状況はやっと土地の使い方が決まり始めているようです。
「ツチモリ」という作業が始まっていて、土地を何メートルかカサ上げをして、新しい区画を作り始めていました。
なんでこんなに道のりが長かったのでしょうか?
もう2年8ヶ月が経っています。
やっと、というかなんというか・・・・
とにかく進んでいるという事は素晴らしいことですが・・・・
ルートは、
東京~宮古~山田町~気仙沼~大船渡~陸前高田~石巻~相馬~南相馬~東京
という流れでまわってきました。
商店や在宅被災者、保育園、バレエ教室の方たちの元へ行ってきました。
最終日は「Ballet For All」という新設されたプロジェクトのお手伝いで、コラボイベント。
バレエ用品の「チャコット」から提供された商品のデモンストレーションやちょっとしたワークショップを行いました。
この辺はOSHの得意分野ですね。(笑)
OSH登坂太頼は偶然の再会があったり、人の縁を強く感じました。
みんな元気で本当に良かったー。
みなさん喜んでくれていたみたいでなによりです!
そして、福島県の南相馬からの帰り道に「飯舘村」というエリアを通り抜けてきました。
ここでは至る所に「除染作業中」の旗が立っていました。
車内での放射線の線量計は窓を閉めた状態で「0.9μSv/h」まで上がりました。ちなみに本日の新宿は「0.03μSv/h」でした。
実に30倍です。しかも「飯館村」の数値は車の中の数値です。
これがどこまで健康被害があるかは、専門家ではないので本当のところまではわかりませんが、移動中の車内ではドンドン上がっていく放射線量に緊張感が漂いました。
そしてこの飯館村は風光明媚な本当に美しい場所でした。
色づく葉、せせらぐ小川に鳥の声、木漏れ日。
息を飲むような豊かな自然がそこにはありました。
しかし、商店は軒並み店を閉め、人の気配は限りなく少なかったです。
この土地は「汚染」されているのです。
東京の避難先に僕らはたまに顔をだしますが、この自然に囲まれた生活をしていた人達が高層マンションに住んでいて気持ちがいいとは思えませんでした。
そしてその広大な自然空間を見た時に、「除染なんて本当に出来るのだろうか」と率直に感じてしまいました。
ちなみに約30年前に事故の起きたチェルノブイリは除染をやめてしまっています。
30年経って、「出来ない」と判断したのです。
フクシマはどうなるのでしょうか?
どうなるにしろ、このような事態は起こってはいけない事だとまた強く想いました。
また東北は震災から3回目の冬を迎えます。
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PS.オガリ商店さん、ちくちくサポーターズさん、相羽源氏さん、APEノリシゲさん、みきこちゃん、佐々木家、プルミエバレエのアベ先生、その他多くの関わってくれた皆さんありがとうございました!!!
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