3日間東北を走りまわって来ました。
福島、岩手、宮城の各所で物資支援を中心とした活動をしました。
宮城では気仙沼の仮設住宅に行かせて頂きました。
2人の家族は一間、3人以上は二間の狭い部屋です。
赤十字から最低限の家電が届いています。
みんなが義援金として入れたお金は確実に被災者の生活を支えています。
その中でも暖房器具はまだ足りているとは言えない状態でした。
OSHでもコタツや湯たんぽなどの支援をしていますが、当然全員の手に行き渡らないというジレンマもあります。
底冷えがキツイらしく、カーペットを重ねたりしていました。
プライバシーができるのと同時に他人との接点が希薄になるという話も聞きました。
やはり支援の手が少なくなって、日常生活を送れなくなりつつある方が沢山いるようです。
東北の寒さの中、電気代が払えないので真っ暗にして家に一日中いるとアタマがおかしくなりそうだと話していました。
そりゃそうだよなあ。
岩手県は大船渡から海岸線を走って山田町に行きました。
ここではボランティアセンターを閉鎖して、少ない県外からのスタッフと地元の住民に仕事をして稼いでもらうという名目で「山田海洋センター」の建物を使って、「復興センター」というものが出来ていました。
実に理にかなったシステムで、町民が自分達の手で復興を助けるといういいサイクルが出来ているようです。
首長がしっかりしていれば必ず誰にでも同じようなシステムが可能だとスタッフの渡辺さんが話していました。
もちろんトラブルもあると思いますが、一つの復興のモデルで有ることは間違いないと思いました。
福島県いわき市では特に米や水の食料支援をしてきました。
原発のせいで子供のいる親は水道の水や地元のモノを子供に食べさせるのに抵抗があるようです。
ここでは、近所のお年寄りが自分の畑で出来た農作物を下さったりすることがよくあるようです。
しかし、今までには善意の繋がりだったこの行為が、(この中には放射性物質が混ざってるのでは・・・)といった疑念により素直に喜べなくなったとの話も聞きました。
誰も悪くないのに人間関係に影を落としてると思います。
どこの街も復興への兆しは確かに見せています。
ガレキも随分と撤去はされてきています。
しかし、新しい町づくりへの復興案は遅々として進まず、9ヶ月経った今も予算補正案がまとまったに過ぎません。
早けりゃいいってもんでもないかもしれませんが、政治家がこの期に及んで政権争いをしてる姿は「愚」としか感じ得ません。
公僕とは何なのでしょうか?
今回も「パルシステム」「栃木ウイング・バレエ父母会」の方たちを始め、数多くの方たちに物資等を提供して頂きました。
心から感謝いたします。
そして共同で支援活動をしている、「ちくちくサポーターズ」「東北救済プロジェクト」「つなぐ心」、
いつもありがとう!まだまだやって行きましょう。
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