2011年。
未曾有の災害と積年のウソが明るみに出た。
自然相手に「想定」なんて出来ないという事がハッキリした。
行政の動きの悪さや頭の悪さに何度も怒った。
被災した人達の悲しい話に何度も泣いた。
でも人の温かさに何度も救われた。
支援してくれてる人達、支援先の人達、一緒に支援してくれる人達、みんなに力をもらってる。
もしかしたら僕達が一番いい思いをしているんじゃないだろうかとも思う。
感謝を100万回言っても足りない。
まだまだ辛い思いをしてる人は沢山いる。
当然僕達は全員にナニかをしてあげられる訳じゃない。
でも、
「誰かが笑ってくれりゃあそれでいい」
そんなスタンスで進んで来たし、これからも進んで行こうと思っています。
とりあえずの話ですが、2011年、関わってくれた皆さん!ありがとうございました!
OSH
登坂 太頼
正木 亮
2011年12月30日金曜日
2011年12月16日金曜日
12/16 NEWS 共同通信
これから時々記事を紹介しようと思います。
ちょこちょこ変わる「工程表」の新しい案です。
一体なにが本当なのだろう?
どうなっていくのだろう?
今生まれた子供が40歳になった時に日本はどうなってる?
↓
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2011/12/15 19:26 【共同通信】
[福島原発廃炉に最長40年 政府、東電が工程表案]
東京電力福島第1原発の廃炉に向け、政府と東電がまとめた工程表案で、施設を解体撤去し、作業がすべて終了するまでに最長40年との期間を示していることが15日、分かった。
政府と東電は16日に原子力災害対策本部の会合を開き、燃料が溶けた1~3号機の原子炉が一定の安定状態「冷温停止状態」となり、4月から改定を重ねてきた事故収束への工程表の「ステップ2」終了を決定。
野田佳彦首相が午後6時から記者会見する。
廃炉への工程表は来週にも公表。避難している住民の帰郷に向けた警戒区域などの見直しに関する考え方も、12月中に公表する見通しだ。
ちょこちょこ変わる「工程表」の新しい案です。
一体なにが本当なのだろう?
どうなっていくのだろう?
今生まれた子供が40歳になった時に日本はどうなってる?
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2011/12/15 19:26 【共同通信】
[福島原発廃炉に最長40年 政府、東電が工程表案]
東京電力福島第1原発の廃炉に向け、政府と東電がまとめた工程表案で、施設を解体撤去し、作業がすべて終了するまでに最長40年との期間を示していることが15日、分かった。
政府と東電は16日に原子力災害対策本部の会合を開き、燃料が溶けた1~3号機の原子炉が一定の安定状態「冷温停止状態」となり、4月から改定を重ねてきた事故収束への工程表の「ステップ2」終了を決定。
野田佳彦首相が午後6時から記者会見する。
廃炉への工程表は来週にも公表。避難している住民の帰郷に向けた警戒区域などの見直しに関する考え方も、12月中に公表する見通しだ。
2011年12月6日火曜日
2011年12月5日月曜日
12/5 現地入り報告 現状
3日間東北を走りまわって来ました。
福島、岩手、宮城の各所で物資支援を中心とした活動をしました。
宮城では気仙沼の仮設住宅に行かせて頂きました。
2人の家族は一間、3人以上は二間の狭い部屋です。
赤十字から最低限の家電が届いています。
みんなが義援金として入れたお金は確実に被災者の生活を支えています。
その中でも暖房器具はまだ足りているとは言えない状態でした。
OSHでもコタツや湯たんぽなどの支援をしていますが、当然全員の手に行き渡らないというジレンマもあります。
底冷えがキツイらしく、カーペットを重ねたりしていました。
プライバシーができるのと同時に他人との接点が希薄になるという話も聞きました。
やはり支援の手が少なくなって、日常生活を送れなくなりつつある方が沢山いるようです。
東北の寒さの中、電気代が払えないので真っ暗にして家に一日中いるとアタマがおかしくなりそうだと話していました。
そりゃそうだよなあ。
岩手県は大船渡から海岸線を走って山田町に行きました。
ここではボランティアセンターを閉鎖して、少ない県外からのスタッフと地元の住民に仕事をして稼いでもらうという名目で「山田海洋センター」の建物を使って、「復興センター」というものが出来ていました。
実に理にかなったシステムで、町民が自分達の手で復興を助けるといういいサイクルが出来ているようです。
首長がしっかりしていれば必ず誰にでも同じようなシステムが可能だとスタッフの渡辺さんが話していました。
もちろんトラブルもあると思いますが、一つの復興のモデルで有ることは間違いないと思いました。
福島県いわき市では特に米や水の食料支援をしてきました。
原発のせいで子供のいる親は水道の水や地元のモノを子供に食べさせるのに抵抗があるようです。
ここでは、近所のお年寄りが自分の畑で出来た農作物を下さったりすることがよくあるようです。
しかし、今までには善意の繋がりだったこの行為が、(この中には放射性物質が混ざってるのでは・・・)といった疑念により素直に喜べなくなったとの話も聞きました。
誰も悪くないのに人間関係に影を落としてると思います。
どこの街も復興への兆しは確かに見せています。
ガレキも随分と撤去はされてきています。
しかし、新しい町づくりへの復興案は遅々として進まず、9ヶ月経った今も予算補正案がまとまったに過ぎません。
早けりゃいいってもんでもないかもしれませんが、政治家がこの期に及んで政権争いをしてる姿は「愚」としか感じ得ません。
公僕とは何なのでしょうか?
今回も「パルシステム」「栃木ウイング・バレエ父母会」の方たちを始め、数多くの方たちに物資等を提供して頂きました。
心から感謝いたします。
そして共同で支援活動をしている、「ちくちくサポーターズ」「東北救済プロジェクト」「つなぐ心」、
いつもありがとう!まだまだやって行きましょう。
福島、岩手、宮城の各所で物資支援を中心とした活動をしました。
宮城では気仙沼の仮設住宅に行かせて頂きました。
2人の家族は一間、3人以上は二間の狭い部屋です。
赤十字から最低限の家電が届いています。
みんなが義援金として入れたお金は確実に被災者の生活を支えています。
その中でも暖房器具はまだ足りているとは言えない状態でした。
OSHでもコタツや湯たんぽなどの支援をしていますが、当然全員の手に行き渡らないというジレンマもあります。
底冷えがキツイらしく、カーペットを重ねたりしていました。
プライバシーができるのと同時に他人との接点が希薄になるという話も聞きました。
やはり支援の手が少なくなって、日常生活を送れなくなりつつある方が沢山いるようです。
東北の寒さの中、電気代が払えないので真っ暗にして家に一日中いるとアタマがおかしくなりそうだと話していました。
そりゃそうだよなあ。
岩手県は大船渡から海岸線を走って山田町に行きました。
ここではボランティアセンターを閉鎖して、少ない県外からのスタッフと地元の住民に仕事をして稼いでもらうという名目で「山田海洋センター」の建物を使って、「復興センター」というものが出来ていました。
実に理にかなったシステムで、町民が自分達の手で復興を助けるといういいサイクルが出来ているようです。
首長がしっかりしていれば必ず誰にでも同じようなシステムが可能だとスタッフの渡辺さんが話していました。
もちろんトラブルもあると思いますが、一つの復興のモデルで有ることは間違いないと思いました。
福島県いわき市では特に米や水の食料支援をしてきました。
原発のせいで子供のいる親は水道の水や地元のモノを子供に食べさせるのに抵抗があるようです。
ここでは、近所のお年寄りが自分の畑で出来た農作物を下さったりすることがよくあるようです。
しかし、今までには善意の繋がりだったこの行為が、(この中には放射性物質が混ざってるのでは・・・)といった疑念により素直に喜べなくなったとの話も聞きました。
誰も悪くないのに人間関係に影を落としてると思います。
どこの街も復興への兆しは確かに見せています。
ガレキも随分と撤去はされてきています。
しかし、新しい町づくりへの復興案は遅々として進まず、9ヶ月経った今も予算補正案がまとまったに過ぎません。
早けりゃいいってもんでもないかもしれませんが、政治家がこの期に及んで政権争いをしてる姿は「愚」としか感じ得ません。
公僕とは何なのでしょうか?
今回も「パルシステム」「栃木ウイング・バレエ父母会」の方たちを始め、数多くの方たちに物資等を提供して頂きました。
心から感謝いたします。
そして共同で支援活動をしている、「ちくちくサポーターズ」「東北救済プロジェクト」「つなぐ心」、
いつもありがとう!まだまだやって行きましょう。
2011年12月1日木曜日
12/1 現地
3日目
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山田町のボランティアセンターを見学させてもらいました。ここは泊まらせてもらったコテージ
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B&G海洋センターという場所を山田町のボランティアセンターとして使用しているとの事です。とにかく設備がすごい。他のボランティアセンターとホントに違う
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ここはボランティアセンターではなく、災害復興センターとして被災した地元の人間が働いているとの事。そこここにアイディアの良さが行き届いている感じ。
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ここのセンターで「ちくちく祭り」を開催! 素晴らしい人気です! みんな目を輝かせていました。
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宮古に入りました。 ここでは約米150kgと生活雑貨を提供してきました。 オガリ商店の主人と神林さんからイクラをもらったりご飯までご馳走になってしまいました。あざす!
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いざ東京へ! 約620kmの道のりを帰ります。 OSHのスーパードライバー「RYO」が安全運転でかっ飛びます。
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奇跡的に二人ともまあまあチビる!
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到着!
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お疲れビール!総走行距離1500km!よく眠れそうだ!
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山田町のボランティアセンターを見学させてもらいました。ここは泊まらせてもらったコテージ
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B&G海洋センターという場所を山田町のボランティアセンターとして使用しているとの事です。とにかく設備がすごい。他のボランティアセンターとホントに違う
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ここはボランティアセンターではなく、災害復興センターとして被災した地元の人間が働いているとの事。そこここにアイディアの良さが行き届いている感じ。
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ここのセンターで「ちくちく祭り」を開催! 素晴らしい人気です! みんな目を輝かせていました。
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宮古に入りました。 ここでは約米150kgと生活雑貨を提供してきました。 オガリ商店の主人と神林さんからイクラをもらったりご飯までご馳走になってしまいました。あざす!
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いざ東京へ! 約620kmの道のりを帰ります。 OSHのスーパードライバー「RYO」が安全運転でかっ飛びます。
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奇跡的に二人ともまあまあチビる!
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到着!
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